SLE発症前のこと。ITPと弁膜症 ①
私はSLEと診断される前から、ITP(血小板減少性紫斑病)とゆう病気を持っていました。
今思えば、SLEはそこから始まっていたんだなぁと思います。(人それぞれどこから始まるかはほんとに色々です。)
小学6年生の夏に、風邪を引いて、背中が凄く痛くなり、近くの小児科に行きました。そこで、症状を訴えるのですが、急に先生が焦りだし、総合病院に電話してるのです。
「12歳の女の子なのですが、背中が痛いとゆうてるのですが、それはどうでもよくて。(どうでもいいんかい‼︎) それより、点状出血がみられます‼︎そちらで診てもらえますか⁉︎」
点状出血は皮膚の下の血管が破れて出血し、赤い斑点が沢山出てる状態です。
私としたら、背中の痛みをどうにかしてほしかったので、とりあえず総合病院にそのまま向かい、血液検査をしました。
血小板が8千しかなく、(正常値は15万から34万です)至急入院となりました。
ですが、そこの病院では1カ月入院してずっと点滴していましたが血小板は全然増えず、親もここではアカンと思ったのか、無理やり転院することに。多分栄養剤しか点滴されてなかった気がする。。。
そして次の病院で、ガンマーグロブリンの点滴をしたと思います。
すると少し血小板は増えてくれました。
ですがまだまだ基準値以下だったので、退院はできませんでした。
もうすぐ修学旅行があると先生にお願いしたのですが、ダメ❗️とゆわれて本当に泣きました。
修学旅行が終わった次の日に退院が決まり、先生を恨みました。また家族で行ったらいいやんと言われたのを覚えてる。
家族と修学旅行とは全然違うし‼︎
みんなからお土産を貰ったけど、ほんとに辛かったです。。。
そして、年が明け、2月に私は初潮を迎えました。思春期の私はそのことを親にも言えず、こっそり自分で処理していました。
家には母のも姉のも置いてあったので、ナプキンを勝手に使っていました。
しばらくは普通の量だったと思います。ですが1カ月ぐらい続いていたのです。初めてだったので、これが普通なのだと思っていました。
最後の一週間は夜用ナプキンが1時間ぐらいでいっぱいになることもありましたが、まだ親には言えませんでした。
そして、卒業式の日は凄く貧血でフラフラしながら行きました。後から写真を見たら凄く真っ青な顔で卒業写真になってます。。
その日に親に打ち明けると、何で早く言わないの‼︎とすぐ、病院に行きました。
もうヘモグロビンは5になっていて、意識も朦朧としていました。そんな中先生が親に説明してる声が聞こえます。
「これ以上ヘモグロビンが下がると命が危ないです。輸血が必要です」と。。
実は、うちの母親は輸血がダメな宗教にその当時入っていました。私もそれを知っていたので、「お母さん。私、死んじゃうの?」
と聞いたのを、覚えています。
お母さんは何も言わずずっと手を握っていました。
そして、気がついたら私は輸血の点滴をうけていました。
母親は宗教よりも、私の命を選んでくれました。きっと辛い決断だったと思います。
ごめんね。と何度もお母さんに言いました。
宗教関係なく、できるなら輸血はしたくなかったですが、今、こうやって生きていられるのも、そのおかげだと思っています。
そのときの入院で、90パーセントSLEだと親は言われたと言います。ですが私も親も信じませんでした。膠原病は凄く怖い病気とゆうイメージがその頃あって、まさか私がそんなはずないと思っていたし、膠原病=関節が痛い。と思っていたので違うと思い込んでいました。
治療もステロイドパルスもしたし、ステロイド60㍉からスタートしました。髄液検査のマルクもしました。
中学の入学式も行けず、5月中頃から遅れて学校に行きました。
副作用のムーンフェイスで。。。
思春期の、私には本当に、辛かったです。このままだったらどうしようと毎日憂鬱でした。
それから、次は大学病院に紹介状を書いてもらい、今の通っている大学病院の小児科に行くことになりました。そして、ITPと診断を受けるのです。
この続きはまた今度書きますね。